答えは渡さない。自分で選ぶための「きっかけ」を手渡す

名前
福原誠二
会社名
合同会社えしかるやS 
キャッチコピー
答えは渡さない
自分で選ぶための「きっかけ」を手渡したい
一言
「知行合一」
自ら知ること、選ぶことが大切

焚き火を眺めると、なぜほっとするのか

川のせせらぎ、焚き火のゆらめき、木もれび。眺めているだけで、なぜかほっとしますよね。

福原誠二さんは、その理由を「ゆらぎ」だと考えています。
自然のものは、同じパターンをくり返さず、かといって激しすぎることもない。
そんなゆらぎにふれると、人は心が落ち着くだけでなく、脳もいきいきと働くのだそうです。
そして、これから人に求められていくのも、このゆらぎ。
福原さんは、これからを「ゆらぎの時代」と呼んでいます。

ところが、いまの暮らしは便利なものや人工的なものに囲まれて、ゆらぎにふれる機会がどんどん減っています。

「便利になればなるほど、人の脳は使わなくなるんですよ」

便利さが悪いわけではありません。足りていないと知ったうえで、自然なものを暮らしに取り入れていけばいい。福原さんが伝えているのは、そんな考え方です。

川のせせらぎ、火のゆらめき、木もれび。自然のゆらぎを描いたイラスト
川のせせらぎ、火のゆらめき、木もれび。自然のゆらぎを描いたイラスト

福原さんは大阪府寝屋川市を拠点に、「和・食・住」をテーマにした暮らしの提案をしています。
扱っているのは、オリジナルの非加熱天日塩「ミラコロそると」と、住まいの電磁波測定。
毎日口にするものと、毎日過ごす場所を、自然に近いかたちへ整えていくお手伝いです。

活動の場は二つあります。

ひとつは「えしかるやセミナー」。テーマは「エシカルは未来の選択肢!」。
ミネラルバランス、季節の電磁波、水のお話、“ゆらぎ”の時代の4つの講座から、興味のあるものを選べます。
世間ではなかなか教えてくれない暮らしの知識を伝える場です。

もうひとつは、歴史トークイベント「ガチャガチャde和輪話(わわわ)」。
「どうして日本はこうなった?」をテーマに、日本酒を片手にゆるく語り合う会です。
縄文、仏教、江戸、明治。その日のお題は、ガチャガチャで決まります。
オンラインなら、耳だけの参加もできます。

福原さんによるえしかるやセミナーと、画面越しに参加するガチャガチャde和輪話のオンライン歴史トークを描いた説明図
福原さんのセミナーと、オンラインでの歴史トークを描いたイメージ図。
福原さんによるえしかるやセミナーと、画面越しに参加するガチャガチャde和輪話のオンライン歴史トークを描いた説明図
福原さんのセミナーと、オンラインでの歴史トークを描いたイメージ図。

じつは、いま福原さんがいちばん力を入れているのは、この歴史のほう。
健康の話をしている人が、なぜ歴史なのか。その理由は、福原さんの歩みをたどると見えてきます。

「みんなが言うから」を、疑い続けてきた

『ブッダ』と『火の鳥』が好きだった少年

東京で生まれ、1歳ごろに大阪へ。男ばかりの3兄弟の次男で、名前は一郎、誠二、憲三。1、2、3と、わかりやすい名前です。

小学生のころから、歴史と宗教が大好きでした。手塚治虫さんの『ブッダ』や『火の鳥』に夢中になり、それからずっと文系一筋。理数系には、まったく興味がありませんでした。

18歳の春に、お兄さんを亡くして

高校を卒業するとき、2つ上のお兄さんが事故で亡くなりました。お兄さんは20歳、福原さんは18歳でした。

自分が不幸だと嘆くよりも、「人はなんで死ぬんかな」という問いが、頭から離れなくなりました。
考えてもお兄さんが戻ってくるわけではない。
それでも考えずにはいられず、1年ほどは人に会いたくもない日々が続きました。

ちょうど大学受験と重なっていましたが、なんとか合格し、龍谷大学の文学部仏教学科へ。
もともとはお坊さんのための大学です。とはいえ福原さんが学んだのは、宗教としての仏教より、その哲学や文化のほう。
お兄さんのことがあったから選んだというより、子どものころからの「好き」の延長でした。

環境ホルモン騒動のただなかで

大学を出て就職したのは、東京のプラスチック関連の会社です。
お父さんが粘着剤の加工会社を経営していて、いずれは継ぐという話もあったからでした。

塩化ビニールの壁紙などを扱う営業職。
理系の世界はまったくの未知でしたが、それがかえって面白く、「こんなものがあったら世の中が便利になるな」とそればかり考えていたそうです。

ところが入社したのは、ちょうど環境ホルモンが社会問題になった時期。
塩化ビニールは悪者だという空気が一気に広がり、社内は大変でした。
技術の人たちは、代わりになる素材づくりに必死だったといいます。

塩化ビニールは悪者。
世間ではそう言われていましたが、業界の中にいた福原さんの目には、実際とはずいぶん違って見えました。
情報はある程度つくられ、誘導されている。
福原さんはそのことを、身をもって知りました。

それでも、最後に選んでいるのは一人ひとりです。
「みんなが言っているから」「テレビで言っているから」と、深く考えずに選んでいく。
これは業界に関係なく、食でも何でも同じだと気づいたといいます。

みんなが言っていることを、そのまま信じていいのか。
この問いが、福原さんのなかにずっと残ることになります。

「営業マンは俳優になれ」

最初の上司には、こう言われました。

「営業マンは俳優みたいなもんだ。演じられなかったら、やっていけないぞ」

できる営業マンほど、自分の本心はわきに置いて、「これはいいものだ」と思い込んで売る。
そうしないと、気持ちがもたないからです。

福原さんには、それができませんでした。
心の底からいいと思えないものを、「あなたのためです」と言って売る。
そのたびに、ずっと何かが引っかかっていたそうです。

仕事のかたわら、夜は歴史を学ぶ会や読書会に通っていました。
会社とは別の場所で、仲間と本を読み、語り合う時間。それが、福原さんにとって大切な居場所でした。

用意された椅子を、降りる

27歳のとき、お父さんが末期のがんとわかります。
東京を離れて大阪に戻り、お父さんの会社に入りました。お父さんは、現役の社長のまま亡くなりました。

会社の経営は安定していて、お父さんの右腕だった方が社長を継いでいました。
福原さんは「次はおまえだ」と言われ、ポストも用意されていました。

立場が上がるにつれ、会社のこれからについても意見を言えるようになります。
でも、これからの時代はこうなるから、こういうものをつくりませんか、と提案しても、「そんなことをしたら今の商品が売れなくなる」と返ってくる。

「いや、売れなくなるからこそ言ってるんですよ」

少しずつ、社内でぶつかるようになっていきました。

30代の終わり、福原さんは会社を辞めます。
それまで一言も口にせず、そんなそぶりも見せていなかったので、まわりはずいぶん驚いたそうです。

お金のことだけを考えれば、残ったほうが安泰だったはず。
会社を背負っていく覚悟が足りなかったのも事実だと、福原さんは率直に振り返ります。
それでも、気持ちはもう決まっていました。

「そんなん、自分をごまかして続けられへんわと思って」

まわりが期待する道ではなく、自分が納得できる道を選ぶ。
福原さんにとって、それがはじめての大きな決断でした。

二人の食卓から始まった変化

地元で出会った奥さんはパティシエで、自分でカフェを営んでいました。

お互い独り身だったころは、食生活もよくありませんでした。
結婚を機に、「あれはよくないね」「これはどうやろ」と、二人で食べるものと日用品を見直していきました。

福原さんは体が丈夫なほうで、大きな病気はしません。
それでも、慢性的な胃の痛みや下痢、ときどきの頭痛をずっと抱えていました。
30代後半には、本気で胃の病気を心配していたほどです。
ストレスのせいだと思っていたその不調が、食生活を見直してからなくなったと、福原さんは振り返ります。

「もう、食いもんが悪すぎただけで」

奥さんも同じように、体が変わっていきました。

そこで気づいたのが、ミネラルの大切さです。汗も血液もしょっぱい。
生き物は海から生まれたと言われるように、人の体のなかには海があるようなもの。
だからこそ、どんなお塩を選ぶかが大切なのだと考えるようになりました。

食だけでは守れないもの

ところが、食を見直してもなかなか良くならない人もいます。
その理由を探っていくと、住まいの環境に行き当たりました。

身のまわりの電気のノイズも、体に影響しているのではないか。
そう考えて電磁波の問題を学び、EMFA電磁波測定士の資格を取りました。

食と環境。
その両方に目を向けることを、福原さんは大切にしています。いまの活動の土台は、ここにあります。

たどり着いたのが「ゆらぎ」だった

プラスチックの業界で見たこと。食卓で起きたこと。電磁波のこと。
振り返ると、根っこはすべて同じでした。
人が本来もっている自然のリズムから、いまの暮らしは離れすぎている。
福原さんが「ゆらぎ」にたどり着いたのは、そう気づいたからです。

そしてもうひとつ、福原さんがずっと大切にしている言葉があります。「エシカル」です。
法律やまわりが決めた正しさではなく、人が生きていくうえで「こっちのほうがいいよね」と自分で思える正しさ。
営業マン時代から抱えてきた違和感に、ようやく名前がついた言葉でした。

水や火や木。日本人は昔から、こうした自然を大切にし、感謝しながら暮らしてきました。
いま日本を訪れる外国の方は、その良さに気づいています。

「いちばんその良さが分かってないのが、日本人ですから」

だから福原さんは、歴史の話もします。日本人にはこういう気質があって、こんな流れで今があるんですよ、と。
いま当たり前だと思っていることも、長い日本の歴史から見れば、ごく最近できたものかもしれない。
そう知るだけで、見え方が少し変わってくる。そこが腑に落ちると、食や環境の話も「だからか」とつながっていくのです。

歴史と仏教、仕事での違和感、自分の道の選択、食と住まい、対話の場へつながる福原さんの歩み
歩みをもとにしたイメージ図。人物・場所は説明用のイラストです。
歴史と仏教、仕事での違和感、自分の道の選択、食と住まい、対話の場へつながる福原さんの歩み
歩みをもとにしたイメージ図。人物・場所は説明用のイラストです。

漫画で読む、福原誠二さんのストーリー

福原さんが何を大切にし、どんな道を選んできたのか。漫画でたどります。

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日本のこれからに、不安を感じている方へ

ニュースを見るたび、なんだかモヤモヤする。何を信じたらいいのかわからない。
年を重ねたら、病院に通うのも介護も当たり前。このままで、日本は大丈夫なんだろうか。

そんな気持ちを抱えている方にこそ、福原さんと話してみてほしいと思います。
福原さんもまた、「みんなが当たり前と思っていること」に、ずっと疑問を持ち続けてきた人だからです。

福原さんは、「これが正解です」とは言いません。「これさえ取っていれば安心ですよ」とも言いません。

強く言い切れば、迷いなく選んでもらえるかもしれない。
でも、思っていた結果と違ったとき、「あの人にすすめられたから」に変わってしまう。
自分で選んでいないから、人のせいにしたくなる。福原さんは、そういう場面をたくさん見てきました。

「僕は、提案なんですよ。いまやってることは全部」

セミナーでも歴史の会でも、福原さんはこう問いかけます。

「僕はこう思っています」「こんなふうに世の中を見ることはできませんか」「あなたはどう思いますか」

反対の意見が返ってきても、かまわないそうです。

「いや、そんなもん絶対違うやろっていう人がおったら、逆にありがたいんですけど」

昔に戻りましょう、という話でもありません。
知ったうえで、自分自身はどちらがいいと思うか。
福原さんが願っているのは、それを考えるきっかけになることです。

「どうなってほしいじゃなくて、みんな知ってから考えたらいいと思ってるんですよ」

そのときは「ふーん」と思っただけの話が、何年かたって、ふとカチッとつながることがあります。
福原さん自身も、人の話を聞いて気づかされたことがたくさんあったといいます。

別の見方を知り、自分の考えを確かめ、納得できる一歩を選ぶ流れ
別の見方を知り、自分の考えを確かめ、納得できる一歩を選ぶ流れ

取材の日、予定していた時間はあっという間に過ぎていきました。
食の話から歴史、奈良のお寺のことまで、話はどんどん広がっていきます。
知らなかったことを知るのは、こんなに面白いのか。そう思わせてくれる人です。

人生の最後に「あのとき、自分で選んでよかったな」と思えるように。
まずは、気軽に福原さんに話しかけてみてください。いきなりセミナーは少しハードルが高いという方は、オンラインで耳だけ参加できる「ガチャガチャde和輪話」からのぞいてみるのもおすすめです。

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